(19)『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則:会社を育てるのは経営者ではなくお客様

『日本の健康産業の第一人者』が語る 人生の成功法則

今回はアメリカで出会ったスポーツクラブの事業を
日本で展開をするなかでの苦労と気づきについて
語られています。

オリンピックによる意識変化


アメリカで10ヶ月ほど過ごした後、
トレーニングマシーンとともに日本に戻ってきました。

昭和39年(1964年)のことです。
この年の10月10日から24日まで東京でオリンピックが
開催されました。

オリンピック開催に合わせて、東海道新幹線も開通しました。

アジアで初のオリンピックに、日本中がブームに沸いていました。

健康クラブを立ち上げるには、またとない絶好のチャンスだと思ったのです。

開業するための場所を探していましたが、
立地と広さの条件に合う物件がなかなか見つかりませんでした。

オリンピックによる外国人観光客の宿泊を見込んだ
ホテル建設ラッシュで、土地の価格も上がっていました。

加えて、健康クラブというのは日本で初めてのビジネスですから、
貸し手側への事業説明も容易ではありませんでした。

すると、物件探しを手伝ってもらっていた
不動産屋がこんなことを言い始めたのです。

「とても良い物件があるのですが、
事情があって塩漬けになっています」

話を聞くと、東京都が所有している建物でかなり広く、
立地も茗荷谷の駅から歩いてすぐのところだと言います。

「医者の井上壽一さんという先生が、
病院の別院を開くために、東京都に申請をしていて、
許可も降りているのですが、
本院の仕事が多忙で開院に手がつけられないようなのです」

病院と聞いて
「人の健康に貢献する仕事だから、
これは何かご縁がありそうだ」と思った私は
「井上先生という方にお会いしたのですが」と
不動産屋にお願いをしました。

しばらくしてから、井上先生が会ってくださる旨を言付かり、
埼玉県の上福岡総合病院を訪ねました。

井上先生に、アメリカで見た健康クラブを開業したい旨を話すと
「それは予防医学というものです。
アメリカやヨーロッパなどの先進国では、
今後の医療費増大の予測から特に注目を集めている分野です。

日本でもこれから伸びていくことは間違いありませんから、
是非一緒になって進めていこうではありませんか」
と言ってくれました。

井上先生にとっても、
私が開業の準備をすることは助けになったのです。

健康クラブの開業へ

開業の準備期間を経て、
昭和41年(1966年)7月11日に
「ヘルスクラブ・ターナー」を東京・茗荷谷に開業しました。

井上先生に協力をいただき、
診療所「茗荷谷クリニック」も併設しました。

健康診断をクリニックで行い、
治療に運動が効果があると思われる患者さんには
ヘルスクラブに来てもらうというスタイルを考えていました。

井上先生は多忙のためクリニックには、
紹介を受けた先生が常駐してくれました。

最もお世話になったのは岩下和彦先生で、
後の聖路加病院の脳外科部長になる方です。

「ターナー」と名前を付けたのは、
私の名前「タナカ」からとっています。

なるべく覚えやすく、柔らかくしたいと考え、
「カ」という強い音を抜いたのでした。

お客様に来ていただけない悩み

さて、念願の健康クラブを開業したのですが、
予想に反してお客様がなかなか来ません。

オリンピックによる影響で、
競技を楽しむことは浸透したものの、
自分たちの健康を高めるための運動は一般の方の意識には、
まだまだありませんでした。

これは自分から打って出ないとダメだと考え、
広く知ってもらうために広告を出すことにしました。

一度でも来てもらえれば、
良さを分かってもらえる自信はありましたので、
新聞の朝刊に「健康な身体をより健康に」
とのうたい文句で5段の広告を出しました。

新聞が配達されたその日の朝、すぐに電話が鳴りました。

早速の問い合わせかと心躍らせたのですが、
それは小石川保健所からでした。
「診療所が広告を出すなど日本ではじめてのことです。
とんでもないことだ」と大変な剣幕でした。

後で知ったことですが病院などは広告を出すことは
できないのだそうです。

すぐに井上先生と保健所に行き、
お詫びと始末書を書きました。

井上先生も肩を落とし、
「これからクリニックとして続けていくのなら広告はいけませんね」
と言ったのでした。

広告ができないとなると、もうほかにうち手はありません。
正直なところ事業展望はお先真っ暗でした。

開業から2ヶ月が経ったものの、
お客様は相変わらずぽちぽちと入るくらいで
60坪の施設は寂しいばかり。

ガラス窓から見えるの茗荷谷の駅から
人が降りてくるのを見るにつけ、
あれがお客様だったらなあと思ったものでした。

テレビで取り上げられ一夜にして有名に

そんな時に一本の電話がかかってきたのです。

「そちらの施設が日本で初めての
健康クラブだと新聞広告で知りました。
テレビで取材をしたのですがどうでしょうか」

電話をかけてきたのははTBSの
「土曜パートナー」という番組のプロデューサーからでした。

当時ワイドショーの先駆けとして知られていて、
芥川也寸志(あくたがわやすし)という方が司会をやっていました。

テレビ取材の勝手が分からず戸惑いましたが、
これで少しでもお客様が来ればと
取材をお受けすることにしたのです。

広告宣伝になる心配があったので、クリニックではなく
健康クラブだけをとりあげて欲しい旨をお願いしました。

プロデューサーの方が早速、
事前の取材に訪れ、
私がアメリカの健康クラブの現状と日本での今後の展望などをお話ししました。

プロデューサーさんは大変面白がってくれ、
「ただの取材ではなく実況中継をしましょう」となったのです。

話はトントン拍子に進み、
今度の土曜日に実況中継をすることとなりました。

その土曜日は土砂降りの雨でした。
「こんな雨の日にテレビ中継をして大丈夫だろうか」
と心配をしていたところ、駐車場にロケバスが2台到着しました。

インタビューアーやカメラマンさん、
照明さんなど30人以上がドカドカと降りてきて、
テレビというのはずいぶんと大がかりなのだということを知りました。

インタビューアーを伴いながら、施設のなかを案内し、
パラマウント社の運動器具やルイス・ウオーカーの説明をしました。

そして、運動による健康維持についてお話をしていたところ、
電話が鳴り始め、スタッフが次々と取るのですが、
次から次へかかってきます。電話が鳴り止まないのです。

「今テレビを見ているのですが、どこですか?」
「茗荷谷です」
というやりとりが何度も繰り返されました。

この時に半信半疑であった
テレビの影響力のすごさを目の当たりにしたのです。

雨のために家でテレビを見て過ごそうという人
が多かったのも幸いしました。

実況放送が終わった後も、
一日中電話は鳴り続け、対応に追われたのでした。

「ヘルスクラブ・ターナー」は一夜にして有名になりました。

翌日からお客さんがどっと集まるようになったのです。
どんな方が来たかというと、主に裕福な家の奥様でした。

お金があり、時間的にも余裕がある方が興味を持ったのでした。

「衣食足りて健康に興味を持つ」といったところだったのでしょう。

さて、奥様方はみなさん自家用車で来ました。
自分で運転して来るのではなく、
運転手さんが送り迎えをするのです。

駐車場はいつも満杯。
うちのスタッフは運動指導をするよりも、
お茶くみがメインの業務のようになってしまいました。

なぜかというと、この頃は運転手さんが待っている間に、
お茶を差し上げるのが礼儀だったからです。

いずれにしても沢山のお客様が来て下さるようになり、
経営的にも一段落できるようになることと同時に、
日本における健康クラブの萌芽とうれしく思ったものです。

会社を育てるのはお客様

しばらくして、ある奥様からこんなことを言われました。

「社長さん、本当に良いものを作りましたね。
私はこの健康クラブとおいしいお茶と和菓子があれば人生満足です。
なんとしても長く続けてください」

この言葉にはとても感動しました。
会社というものはそれを作った人だけのものではなく
「公器」であると言われますが、
会社を育てるのは、経営者や従業員だけではなく、
お客様なのだと気が付いた瞬間でした。

ビジネスが好調の波に乗っていると、
ついつい「自分の成果だ」と思ってしまいます。

しかし、その成果は、お客様の存在があってこそです。
成功したのはお客様のお陰であり、
ここまで育ててくれたのもお客様だという意識は、
周囲の人に必ず伝わります。

一時の成功で留まるか、
そこからさらに広がっていくかどうかは、
この心持ちの違いに拠る所が大きいと感じています。

ビジネスの好循環はこうしてお客様が育ててくださるのです。

その頃の自分の写真を見ると、顔つきが穏やかになり、
自信に溢れ、落ち着いています。

不良少年時代の鋭いけれど、
どこか暗い雰囲気を感じさせる顔つきとは別人のようです。

人の生き方は顔に出るといいますが、
これは本当のことです。

読者のみなさんも朝起きたら鏡を注意深くご覧になってください。
顔の現れ方は自分の生き方の方向性が正しいのか、
間違っているのかを教えてくれます。

そして、暗い顔をしているなと思ったら、
少しでも良い顔となるように、
自分の生き方、心持ちを意識してみてください。

時間はかかるかもしれませんが、きっと良い影響が出てくるはずです。

(次回へ続く)

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