(21)『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則:思いは言語の壁を越えて通じる

『日本の健康産業の第一人者』が語る 人生の成功法則

本記事は
日本の健康産業の第一人者である
田中恒豊(たなかつねとよ)さん(故人)への
2014年頃からの長期インタビュー(インタビュー当時80歳代)
を書き起こしたものです。

田中さんは、戦後の大きな時代変化のなかで、
日本で初めてのフィットネスクラブを設立された方で
「日本の健康産業の第一人者」として知られています。

今回は英語でのコミュニケーションについて、
英語が話せるかよりも、何を伝えるかが重要である点について
語っています。

時代背景などもお含みのうえ、お読みいただければ幸いです。

現在、大きな変化の時代を迎えていますが、
時代が動くときに、どのような判断を行うべきかといった
考察の参考になると考え、
ご関係者の方のご了解を得まして、記事を掲載いたしております。

毎週土曜日に更新の予定です。

■環境問題と健康への意識の高まり

昭和42年(1967年)。
この年に吉田茂さんが89歳でお亡くなりになりました。

佐藤栄作さんが総理大臣を務めていて、
吉田さんの国葬を取り仕切ったことを新聞で知りました。

ファッションではミニスカートが流行した年でもありました。
昭和40年代頃から合成繊維の技術革新があり、
比較的安価な既製品の大量生産ができるようになったために、
既製品の流行現象が生まれるようになったのです。

高度経済成長がもたらした流行でした。

一方、公害問題が大きく取り上げられるようになったのもこの頃です。
新潟の水俣病、東京の光化学スモッグ、四日市のぜんそくなどが
大問題となりました。

こうした公害により、
環境問題に対して人々が関心を持つようになると同時に、
健康とは何かを考えるきっかけにもなったのでした。

そうした時代背景を受けて、健康器具は順調に売り上げを伸ばしていました。

パラマウント社の製品も売れ行きも好調で、
部品の注文やメンテナンスのために、アメリカの本社にも行き来するようになりました。

■パラマウント社の社長ウィリアム・ハブナーさんとの出会い

パラマウント社の社長ウィリアム・ハブナーさんとはその頃から親しくなり、
健康クラブの施設計画から企画運営のノウハウについて
熱心に指導をしてもらうようになったのです。

トレーニングマシーンを作っている工場にも何度もお邪魔しました。

量産体制で効率重視なのかと思っていましたが、
担当者がマシーンを一台ずつ作っており、
ちょうど家具職人が、木材を切り出すところから始めて
完成品まで責任を持って作るようなスタイルで印象的でした。

この頃から、日本でもトレーニングマシーンを販売する会社がいくつか出てきました。
そんな会社からもパラマウント社の部品の補充や
メンテナンスをお願いされることがありました。

日本にパラマウント社の代理店がなかったので、
一番関係の深い私のところに頼みにきたのでした。

そうした経緯から、仕事でアメリカに行き、
ハブナーさんとお会いした時に、日本の窓口を決めてもらいたい旨を伝えました。

すると、ハブナーさんはしばらく考えてから
「実は日本の総代理店は決めかねている」と言うのです。

健康産業の興隆を予見した日本大手商社が
いくつもパラマウント社の代理店に名乗りをあげたそうです。

彼らのプレゼンテーションを聞くと、
商社という信用と全国の販売網を生かし、
巨大資本を投入して、一気に全国展開しようというものがほとんどで、
「具体的にはどのようにして売るのですか?」と聞くと担当者は、
「それはそれぞれの担当の販売者が……」とか「東京本社に問い合わせまして……」などと
言葉を濁すということでした。

「そんなことでは、代理店を任せられない」とハブナーさんは言いました。
パラマウント社としてはこちらの方針を
組み取ってくれるような会社が現れるまで、
日本に代理店は置く予定はないので
当面は本社がその業務に当たるということでした。

ふとハブナーさんはこんなことを言い出しました。

「もし田中さんが『どのようにして売りますか』と聞かれたら?」と。

私は日頃、パラマウント社の製品に接しており、
お客様がトレーニングマシーンを利用して喜ぶ姿を見ていますし、
それらトレーニングマシーンがどのように作られているのかも知っていましたので、
いつも考えていたことが自然と言葉となってでてきました。

「『パラマウント社の製品を絶対に錆びさせません。磨耗するまで使い切ります』と申し上げます。
パラマウント社の製品は工場で職人さんが魂を込めてひとつひとつ手作りされています。その想いに応えたいのです」

これは私の心からの言葉でした。

これまで工場に何度も足を運び、
職人さんが細かなところまで心配りを怠らずに作っている姿を見ての率直な感想でもありました。

ハブナーさんはハッとしたように顔を私のほうに向けました。
「それこそが私の求めていた答えです。
田中さん、パラマウントの日本総代理店をやっていただけませんか」
と思いもよらぬ提案を受けました。

その時までまさか自分が、パラマウント社の日本総代理店を務めようなどと考えたこともなく、
どこでも良いので最適な会社が務めてくれればよいと考えていたからでした。

ハブナーさんの提案はとっさのことで驚きましたが、
これもある意味ご縁だと思ったのです。

そして、「是非、私にやらせてください」と快諾しました。

ハブナーさんは売り方よりも「売る覚悟、精神」を代理店に求めていたのでした。
私の経営する会社は、大手商社に比べればネズミと象以上の体力差があります。

ですから、ヘルスクラブターナーがパラマウント社の総代理店になると知れ渡った時、
他の商社に衝撃が走ったそうです。「ターナーはどんな手を使ったんだ」とよく不思議がられました。

■思いは言語の壁を超えて通じる

この時に感じたことは、国が違えども思いは通じるということでした。

その思いや心はどこから来るかと言えば、
その人の自身が日頃何を考えているか、
何を大切にしているかといった生き方や中心軸からだと思うのです。

現在、「英語教育」の重要性がよく言われていますが、
私は実のところ不要だと考えています。

英語そのものは所詮道具に過ぎません。

きっとあと数年すれば、英語と日本語の完璧な同時通訳装置が開発されて、
一般的に普及することでしょう。

もうすでにスマートフォンでも、そうしたアプリも開発されています。

そうした時代に重要なことは、英語を話すことではなく「何を話すか」なのです。

英語教育について否定的な意見を述べる方は、
日本語教育の重要性を指摘していると感じられますが、
私は「価値観の中心軸がある人材」教育のほうが大切だと考えています。

同じ言葉でも生き方が違えば伝わり方が全く変わってきます。

ハブナーさんが私を総代理店として認めてくれたのは、
私の生き方、中心軸を認めてくれたからなのです。

2008年に、アメリカのパラマウント社が開業50周年を迎え、
お祝いの会がロスアンゼルスの本社で行われました。

全世界の代理店が呼ばれ盛大に行われました。
私の会社が現存するなかで一番古くからのパラマウントの代理店だということで、
招待を受け、その席で祝辞を述べるように頼まれていました。

アメリカ人の社員さんや職人さん、他国の代理店が大勢集まる中で、
私が関係する健康クラブの現在の写真を大きく引き延ばしたものを見せながら、

「この健康クラブで使われているマシーンは、
私が日本の総代理店を任された40数年前に買い求めたものです。

みなさんの先輩方がひとつひとつ手作りで作ったものが今も現役で使われています。
どれひとつサビがきているものはありません。

営業時間が終わると毎日磨いています。マシーンにも心が通じるのです。

そんな素晴らしいマシーンを作り続けてくれたパラマウントのみなさんに改めて感謝いたします。
ありがとう」

私の言葉が翻訳されて、伝えられると、
工場の勤務をしている社員の方々、職人さんたちが涙を流しはじめたのです。

その様子を見て他の代理店の代表たちも涙しました。
会場全体がひとつになったかのような感動的な瞬間でした。

(次回へ続く)

 

 

タイトルとURLをコピーしました