(14)『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則:人との出会いが「中心軸」を強くする

『日本の健康産業の第一人者』が語る 人生の成功法則

今回は、政治家竹内先生のお手伝いをするなかで
横須賀の海軍基地での鉛発掘の事業を成功させるまでに出会った
芦田均元首相、野村吉三郎元海軍大将、里見機関の里見甫さんに
ついて書かれています。

時代背景などもお含みのうえ、お読みいただければ幸いです。

総理大臣の紹介を頼まれて

昭和30年(1953年)、私は22歳となりました。

トヨタのクラウンが発売されて、アルミニウムの一円が発行された年です。
砒素ミルク事件があったり、
ジェームス・ディーンが「エデンの東」を撮影した後に
交通事故で亡くなったのもこの年でした。

私は引き続き、竹内先生のお手伝いをしていました。

ある時に、久里浜にあったI開発事業と名乗る会社の社長さんが
相談をしたいとやってきたのです。

これまでも竹内先生と一緒に仕事をしているということで、
陳情やらお願いやらと色々な話が私のところに来ましたが、
一応どんなお話でも聞くことにしていました。

話を聞いたうえでことの是非を判断するのが、私の役目でもありました。

「田中さんは政治家をよく知ってるでしょう?
紹介をして欲しい人がいるのだけど。お願いできないかな」

「どなたとお話がされたいのですか?」

「吉田茂さん」

総理大臣を退いたとはいえ、今だ厳然たる力のある政治家です。
吉田さんのことは先に述べたようによく知っていましたが、
理由も分からず紹介できるような人ではありません。

「どうして吉田さんとお話したいのですか?」と問うと、
I開発の社長はこんな話をはじめました。

横須賀の米軍基地を舞台とした壮大な計画

横須賀に米軍の基地が2014年現在もありますが、
もともとは日本海軍の基地として長く使われていました。

そこには広大な射撃場があり、
日本海軍、そしてアメリカの兵士たちが訓練のために
何十年も弾を打ち続けていたのです。

射撃場の的は、弾が変な方向に飛んで事故につながらないように
山の壁面に備え付けられていました。

つまり山に向かって、何万発もの弾を撃ったのです。

当時、鉄砲の弾に使われたのは鉛で、I開発事業の社長の話によると、
射撃場の山の半分くらいが鉛のカタマリとなっているということでした。

そこに目を付けた社長は鉛のカタマリのことは伏せて、
基地の司令官に「射撃場の清掃をさせてください」と仕事の願書を出したそうです。

基地の司令官にしてみれば、
どこの馬の骨とも分からない民間企業が基地の中に入る
ということは好ましいことではありませんから当然断ります。

それでも、I開発事業の社長が食い下がるので
「もしここの清掃許可が欲しいのなら、天皇陛下か総理大臣にお越しいただこう」
と言ったそうです。

一民間の企業が天皇陛下や総理大臣を動かせるはずがない
と考えてのことだったでしょう。

I社長は当時、事業不振から金策に苦労をしており、
せっかく見つけたお宝つまり鉛のカタマリを諦めきれずに、
ツテを頼って私のところに来て
「吉田茂さんを紹介してくれ」と言ったのでした。

総理大臣経験者は吉田さん以外にももちろんいるのですが、
I開発事業の社長さんにしてみれば、
総理大臣イコール吉田茂さんということだったのでしょう。

鉛という鉱物は、柔らかく加工がしやすいために、
当時の日本の発展にとってはとても重要な資源のひとつでした。

鉛は今では毒性があることから使用が制限されつつありますが、
当時はハンダといえば鉛でしたし、屋根などの装飾に使われたり、
ガラスと混ぜて加工されたりといくらでも用途はあったのです。

私は、日本のこれからは「産業」だと考えていましたので
「日本にとって必要な仕事だ」と直感しました。

「竹内先生にご相談いたしますので、しばらくお時間をいただけませんか」

早速、その夜に竹内先生にこの件を話したところ、
「鉛は今の日本にとって重要な資源ですから、
これは吉田さんにひと肌脱いでいただきましょうか。
明日にでも大磯に行ってみましょう」
と翌日、吉田邸へ向かうこととなりました。

芦田均、野村吉三郎そして里見甫

大磯へと車を飛ばし、吉田茂さんに事情を説明しました。

「ワシが行くよりも、後に総理大臣であった芦田均君を
連れていったほうが良い。芦田君のご子息は航空自衛隊の長官をしている。
基地の情報に精通しているから。紹介状を書いてあげるから待っていなさい」

吉田さんは巻紙に筆でさらさらと紹介状を書いてくれました。

それからふと思いついたように、
「海軍大将を務めていた野村吉三郎さんのことを知っているか?
彼にも来てもらったほうがよいかもしれない」
と野村さん宛の紹介状を書いてくれました。

推測をするに、米軍基地の司令官は、
I開発の社長の目的が鉛の採掘であることを分かっていたのでしょう。

鉛の半分以上は旧日本軍に所有権があるのですから、
後々問題とならないように日本国内の有力者が承知していることが
不可欠だったのだと思います。

吉田さんは流石にその辺りのことは折り込み済みだったのでしょう。

海軍大将であった野村吉三郎さんを連れていくことは、
米軍司令官に権利の正当性をほのめかすために必要であったでしょうし、
芦田均さんを連れていくことで、
現在の航空自衛隊にもその情報を共有することができるというわけです。

早速に芦田均さんのところに行くことにしました。

芦田さんは髪を六四にきっちりと分けており、
髭もきれいに整えていてまっすぐな人なのだという印象を受けました。

紹介状を渡すと
「吉田さんの頼みでは受けるしかないでしょう」と即座に引き受けてくれました。

続いて野村吉三郎さんを訪れました。

髪は短く丸眼鏡でふくよかな風貌は貫禄十分で、
さすが元海軍大将と思ったものです。

そして「私でお役に立てるなら」と力強く請け負ってくれました。

先に述べた通り、私は海軍に憧れがあったので、
野村大将とお会いできたことはとてもうれしかったのです。

採掘計画をいかに実行するか

芦田元総理、野村海軍大将、竹内先生と私、I社長の五人で基地に行き、
司令官に取り次ぎを頼みました。

司令官は応接室に私たちを通してくれて
「本当に元・総理大臣を連れてくるとは」
という驚きの表情をしましたが、
「OK」と全員と握手をしてくれ「射的場清掃作業許可」が降りたのです。

応接室から出ると、若い士官が射的場に案内をしてくれました。

そこは私が想像していた敷地よりも遙かに広く、
何十人もの兵士たちが一斉に訓練をできる巨大な山が広がっていました。

これを切り出していくには、作業員がどのくらい必要となるのか、
鉛を運ぶトラックが何十台用意すればいいのか検討もつきませんでした。

芦田均さんと野村吉三郎さんにお礼を言って別れた後、
私たち三人は、竹内先生の事務所で、今後の鉛の運搬の計画を立てました。

I開発の社長の計算では一年にも及ぶ大きなプロジェクトとなる話でした。

しかし、規模はどうあれ、人を雇うにもトラックを動かすにもお金が必要です。

けれども、I社長は金策の当てがあるはずもなく、
竹内先生も宵越しの金は持たない性格で手元不如意なのです。

竹内先生は腕組みをして「さてさてどうしようか」といった具合でしたが、
コーヒーを一杯飲むうちにすぐに良い案を思いついたようでした。

「田中さん。交詢社で、よくハムエッグを食べている人がいるんだが、
田中さんはあの人とは面識がありませんでしたよね。
里見甫(さとみはじめ)さんという名前は聞いたことがあるでしょう?
里見機関ですよ。大金を動かした人ですから、あの人に相談してみましょうか」

里見甫さんという人は戦前・戦中と中国各地のメディア統合を図り、
満州国通信社の経営を行った人です。

しかし、それよりも「里見機関」という組織と
「阿片王」という異名のほうが知られているかと思います。

戦争中の「魔都」と言われた上海を拠点に、
中国人を相手にアヘンを売り、日本陸軍の機密費を作り出した「里見機関」。

そのトップが里見さんです。
佐野眞一さんという作家が「阿片王 満州の夜と霧」という本で
里見さんの人生を詳しく描いています。

満州のアヘンの闇利権を手中し、
日本の関東軍はもちろんのこと、中国の国民党にも大きな影響力があり、
国家予算規模のお金を動かしていた人です。

翌日、竹内先生と私で交詢社クラブへ行きました。

運良く里見さんがいて、今日もハムエッグを食べていたのです。

里見さんは痩身で、口はへの字で結ばれていて、
髪は少し薄くなっていましたが、60代になっていない頃であったと思います。

眼鏡の奥底から我々のことを見極めるように、
竹内先生の説明を聞いている姿が印象的でした。

「事情は分かりましたが、竹内先生がご想像されているようなお金は
今の私にはありません。しかし、米軍基地からの鉛の採掘とは面白い話です。

日本の産業にとっても鉛はこれから重要になるでしょう。
融資をしてくれるかは分かりませんが、お金のある人をご紹介しましょう」

里見さんは、「その人は目黒にいる」と紹介状を書いてくれました。

(次回へ続く)

(15)『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則:人との出会いが「中心軸」を強くする(2)
今回は、横須賀の海軍基地での鉛発掘の事業をうまく軌道に乗せ、 政治の世界とさらに深く関わっていくなかで違和感を感じ、 そして、また別の方向に進んでいくまでについて書かれています。 里見甫さんに紹介された大物フィクサー 里見さんの紹介を受けて...

 

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