(24)『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則:信義を大切にすることが大金を運んでくれる

『日本の健康産業の第一人者』が語る 人生の成功法則

今回は、相手の信頼に応えるために、
自分でできることは全て行うことの重要性について
お話をしています。

健康器具の部品1つのためにアメリカに

昭和54年(1979年)。

日本が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と賞されて、
経済的には非常に強い時代に入ります。

この年は大平正芳首相が日米貿易摩擦解消のために
訪米するなど日本の大きな貿易黒字が世界で話題となっていたのです。

後楽園スポーツクラブは昭和54年の4月3日にオープンすることが決まりました。

クラブで使う健康器具については、
私のほうで吟味に吟味を重ね自信を持って
お勧めできるマシーンを選びました。

ところで、4月というのは、
春闘のストライキがある時期なのです。

その当時、労働組合は何かあるとストライキを行いました。

交通機関のストライキのために、
定時に会社に着くことができず痛い思いをした人も大勢いました。

もし、3月、4月頃に、物流のどこかでストライキを起こされたら、
オープンにも支障が出ることが予想されました。

例えば港の職員がストライキを起こしたら、
それだけで荷物の搬入が何日も遅れてしまうのです。

そこで私は保坂社長にひとつ提案をしました。

「機械購入の予算を事前に組むというのはどうでしょう。
4ヶ月前にパラマウント社やその他の企業から健康器具を買って
手元に置いておけば安心です。どこか保管できるところはありますか」

すると「それは良いアイデアですね」と機械の購入予算を前倒しにし、
年をまたぐ前の12月に事前購入をすることになりました。

どこかにトレーニングマシーンが置けるような場所はないかと尋ねると、
後楽園の経営企画部の方が、
球場の外野席の下に大きなスペースがあり、
ちょうど空いているいるのでそこを使ってはどうかと教えてくれました。

12月の半ば頃にアメリカからトレーニングマシーンを大量に輸入した私たちは、
錆びないように輸送コンテナごと厳重に密閉して、外野席の下に納めたのです。

年が明け最終的な詰めの調整などを行いながら3月29日となりました。

オープンの4日前のことです。野球場の外野席の下から、
事前に購入した健康器具ののコンテナを運びました。

全ての健康器具を開封し、組立作業が始まりました。

作業は急ピッチで進み、
その日の夕方に作業の終了を見計らって、私がスタッフに、
「おーい、100パーセント納品できたか?」と尋ねると、
予想外の答えが返ってきました。

「できません。99パーセントです」

どうしてかと聞くとパラマウント社の背筋を鍛えるマシーンの
持ち手のバーが一本足りないと言うのです。

これは困ったことになったと思いました。

当時、日本の健康器具製作メーカーは
「外国製品は部品の不揃いが多い。納品に時間もかかる。
今や日本製品は外国製品と比べてもんら遜色はない。
だから日本製品が良い」と自社製品の販売を強烈に押し進めていた頃でした。

確かに外国製品を扱うと、
先方の単純な発注ミスがあることもありで、
国内メーカーの言い分も最もなのですが、
まさかこのタイミングで、
パラマウント社がミスをするとは考えてもいませんでした。

パラマウント社の日本総代理店を務めている私としては、
製品の不揃いが原因で健康クラブのオープンが遅れるなどということは
絶対にあってはならないと考えてましたので、
早速アメリカに電話をしました。

「私が今からバーを一本取りに行きますから準備をお願いします」
思い立ったら即実行の私でした。

アメリカのパラマウント本社の担当者は
「取りに来なくてよい。今、ジャパンエクスプレスで送るから」
と強く拒絶します。

しかし、空輸で着いたからといって
すぐに手元に届くわけではないのです。

通常はいったん、保全倉庫に入れられて検査をするのです。
保全倉庫に入ってしまうと早くて3日がかかります。

これでは4月3日のオープンには間に合わないと考えました。

バー一本のことですから、
私がアメリカに飛んで手荷物で運んでしまえば話が早いと考えたのです。

そう説明しても担当者は「来なくてよい」を繰り返します。

電話で問答している時間ももったいないと思いましたので、
私は電話を切ると、荷物をまとめて空港に向かいアメリカへと飛び立ちました。

「この考え方が日本人なのです」

翌日の朝頃にアメリカに着き、
工場に行ったところ担当者がしきりに「来なくて良い」と言った理由が分かりました。

その日は社長のハブナーさんが視察に来ていたのです。

事務所でたまたま出くわしたハブナーさんは私の顔を見るなり驚いて、
「田中さん、今日はなにをしに来たのか?」

そこで「バーを一本取りに来た」旨を説明しました。

ハブナーさんはさらに驚いて、
「本当か? この一本のために日本から来たのか?」と何度も聞きます。

ハブナーさんの足下に
「ジャパンエクスプレス」のタグが付いたバーが置かれていました。

「そうです。これ一本。ではお預かりしましたからすぐに帰ります」

その時に、通訳をしてくれたのが
ジャック和田さんという人で、
山崎豊子さんが書いた小説『二つの祖国』に登場する
「洗濯屋のジャック」のモデルになった人なのですが、
「田中さん。ハブナーさんはしつこく聞いてきます。
このバーを取りに来るだけのために、
わざわざ自費でアメリカに来たという考え方が分からないと言っています。
ハブナーさんは納得するまで、日本に帰してくれそうにありませんよ」

私は、ハブナーさんに理解をしてもらうには
どう言えばいいか少し困りましたが、
いつものように日頃考えていること、中心軸から言葉が飛び出しました。

「分かりました。和田さん。ではこう言ってください。
『この考え方が日本人なのです』と」。

アメリカの合理主義的な考え方からすれば、
いずれは手元に届くバー一本のために、
旅費を投じて郵便配達のまねごとをするなど信じられなかったのでしょう。

私としては、お金の問題ではなく、
オープンに100パーセントの納品を間に合わせることが大切だったのです。

和田さんの通訳を聞いたハブナーさんは、
「分かった。もうこれ以上は聞かない。
田中さんにパラマウント社の日本総代理店を任せたことを誇りに思うよ。
ありがとう」と納得をしてくれたのです。

そしてその日の夕方には日本に帰って来て、
無事に期限までにトレーニングマシーンを100%納品することができました。

信義を大切にする

私にとっては信義を大切にすることは
お金よりもはるかに重要でした。

信義を大切にする生き方は、
ひとときお金を失うことはあっても、
もっと大きなものを運んできてくれるのです。

それは人との絆、信頼、そして自分自身の信念や軸を確立することにつながります。

事実、この事件の後、後楽園側は私の行動を知り、
「そこまでやってくれたのか」と感謝をされ、
オープンに向けて一層の信頼獲得へとつながりました。

パラマウント社からも絶大な信頼を得たのは言うまでもありません。

(次回へ続く)

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