『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則(1)

『日本の健康産業の第一人者』が語る 人生の成功法則

ここからはじまる記事は、
日本の健康産業の第一人者である
田中恒豊(たなかつねとよ)さん(故人)への
2014年からの長期インタビュー(インタビュー当時80歳)
を書き起こしたものです。

田中さんは、戦後の大きな時代変化のなかで、
日本で初めてのフィットネスクラブを設立された方で
「日本の健康産業の第一人者」として知られています。

総理大臣の吉田茂や岸信介などとも面識があり、
彼らが自分の人生に与えた影響などについても
冷静に分析されています。

現在、大きな変化の時代を迎えていますが、
時代が動くときに、どのような判断を行うべきかといった
考察の参考になると考え、
ご遺族の方のご了解を得まして、記事を掲載いたしております。

交詢社クラブという場所

東京都中央区銀座6丁目8番7号。
ここには現在「交詢社(こうじゅんしゃ)ビルディング」と名付けられた地上10階、地下2階建ての建物があります。

一般財団法人 交詢社

松坂屋デパートからほど近くにある交詢社ビルは1階・2階、
そして地下に高級服飾雑貨店「バーニーズ・ニューヨーク」が入っています。

銀座のちょうど中心にあるといってもよいでしょう。
平日の昼間でも男女を問わず大勢のお客さんが出入りをし、
買い物を楽しんだり、3階より上の高級レストランで
食事を取ったりとなかなかに盛況な様子が見て取れます。

交詢社ビルディングは、2004年に老朽化のため立て替えられましたが、
正面入り口には立て替え前の80年以上の歴史がある玄関装飾が
遺されています。

壁面に取り付けられたランプや「交詢社」の鉄の文字細工を見ても分かるとおり、
上品かつ優美な意匠で、
時代を経た石材や鉄の風合いが交詢社ビルの歴史を感じさせるのです。

バーニーズの最新ファッションや雑貨、
レストラン街での食事が目的で建物に入る人々はもちろんのこと、
たまたま通りかかっただけでも一度は見上げずにはいられない正面玄関の存在感。

周囲の喧噪とは一線を画す落ち着いたおもむきを感じさせるのです。

「交詢社(こうじゅんしゃ)」と一般に言えば、このビルを指すと同時に、
慶応義塾大学創設者の福沢諭吉が提唱し、
結成された社交クラブであったことはよく知られているところでしょう。

交詢社クラブの会員は慶応義塾大学の出身者を中心に、
政財界・学者・官僚などにより構成され、
歴代総理大臣や閣僚経験者といった政治家たちも多く出入りするなど
第一級の会員制社交機関であったのです。

そして、明治・大正・昭和を通じて政界・財界の重要事項が
話し合われた政治の「裏舞台」の役割を果たしたことは、
歴史に詳しい方でしたらきっとご存じのことと思います。

交詢社でのご縁が、その後の人生を大きく変えた

私がはじめて交詢社クラブを訪れたのは、
昭和28年(1953年)で、ちょうど20歳の時でした。

時代背景を説明しますと、
昭和20年(1945年)に、日本はポツダム宣言を受諾し終戦となりました。

GHQによる占領、戦後のインフレや新憲法施行を経て、
昭和27年(1952年)に、ようやく日本が主権を回復しました。

第二次世界大戦とその後の混乱から新しい歩みを進め、
経済成長への道のりが見え始めた頃のことです。

私の新たな門出に際して、
友人のひとりが「これから世の中に出て行くならば、
どんな仕事をするにしても、
政治家という生き物を知っておいたほうが良いですよ」と、
ある代議士の先生と引き合わせてくれたのです。

その場所が交詢社クラブでした。
当時の銀座は、何といっても日本一の都会で、
「モダン」という言葉がこれほどふさわしい街は他にはありませんでした。

最新のファッション、海外からの文物、
洗練された形で残った日本の着物や日常使い品々。

ふらりと訪れて散策をするだけでも心を豊かにしてくる街でした。

歩いている人も、女性であれば着物に日傘だったり、
洋服もワンピースやスーツ。男性はスーツに帽子の人が多く、正装で歩くような街でした。

交詢社ビルは、銀座のランドマーク的な存在で、
ここを起点に銀座の街が展開していました。

街を案内するときにも「交詢社ビルを南に」などと言ったものです。
当時は7階建ての建物で、内装はアールデコ調で統一をされており、
古き良き時代のヨーロッパを想起させるような場所でした。

なかにはテーブル、椅子といった家具類がゆったりと配置され、
常設のスクリーンには最新のニュース映像が絶えず流され、
ここを訪れる人は誰でも、貴重だった映像のニュースを見ることができたのです。

会員たちは、お茶やコーヒーを飲んだり、食事をしたりしながら、新聞を読んだり、
居合わせた仲間たちと世相について議論をするのが常でした。まさに高級サロンといった雰囲気の空間でした。

私の友人が、交詢社クラブで紹介してくれたある代議士の先生との関わりが後に、
総理大臣の吉田茂さんや同じく総理大臣である芦田均さん、
海軍大将として知られる野村吉三郎さんといった大物たちと
共に行動することにつながるとは、
紹介してくれた友人も考えていなかったでしょう。

さらには、戦争中、上海を拠点にアヘンの密売に関わった
「阿片王」こと里見甫さんや、
中国の国民党軍に対する経済攪乱作戦として偽札作りに関わった
「阪田機関」のトップ・阪田誠盛さんとの交渉に発展することとなるとは、
当時、一介の青年に過ぎなかった私には想像すらできませんでした。

彼らとの偶然の出会いが、色々な意味で私の人生に大きな影響を与えたのでした。

その後、私は30歳の時にアメリカへ渡り、
そこでの経験から日本ではじめての「健康クラブ」、今風に言えば
「スポーツ・ジム」を作りました。

そして「ターナーベルト」という健康器具を開発し、
大手新聞社が選ぶヒット商品ナンバーワンに選ばれたこともありました。

さらに「後楽園スポーツクラブ」(現、東京ドームスポーツクラブ)を企画・運営し
「日本の健康産業の原点」と呼ばれるようになるのですから、人生とは何とも不思議なものです。

『VUCA』の時代

さて、先日あるコンサルタントの方とお話をしていて、
「現在は『VUCA』の時代です」という言葉がとても印象に残りました。

Volatility (変動性)、Uncertaint(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity (曖昧性)
の頭文字をとっているのですが、確かにそうだと思いました。

世界の政治の動きを見ていても変動が大きく、先が読みづらい世の中です。

インターネットやスマートフォンの影響で、
多くの情報に接することができる一方で、
そのために状況を理解することが難しくなっていると感じます。

しかし、先が読みにくいという面では、
私が青春時代を過ごした戦前、戦中、戦後の時代も
ひけをとらなかったと考えています。

もちろん情報の量ということでは全く状況は異なりますが、
とにかく曖昧で、不確実な時代であったことは間違いありません。

 そんな時代に、私がどういった判断で、世の中の流れを受け止め、
「道」を選択していったのかは、『VUCA』の時代にも少なからず役立つと思っています。

「人生を上手に生きる法則」のようなものも80年の人生で見えてきました。
そうした知恵のようなものを皆さんにお伝えしたいと思います。

(次回へ続く)

(2)『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則:心のあり方を決めれば人生が開ける
今回は「心」のあり方の大切さについて語られています。 現在、大きな変化の時代を迎えていますが、 時代が動くときに、どのような判断を行うべきかといった 考察の参考になると考え、 ご関係者の方のご了解を得まして、記事を掲載いたしておりま...

補足

「VUCA」については下記の記事で詳しく取り上げていますので、
ご感心がありましたらご一読いただければ幸いです。

長期経営計画が行われなくなったVUCAの時代:経営ビジョンの必要性
2016年頃からコンサルタント業界でのバズワードに 「VUCA(ブーカ)」というものがあります。 VUCAとは次の4つの単語の頭文字をとって作られていて、 簡単にいえば、「予測不能な状態」を表します。 ・V olatility(変動...

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