(25)『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則:仕事の報酬はお金ではなく、「能力」「ご縁」、そして「次の仕事」

『日本の健康産業の第一人者』が語る 人生の成功法則

今回は、社会的に良い影響を与えるか否かを
判断基準にすることで、さらなる展開につながることについて
お話をしています。

後楽園スポーツクラブのオープン

昭和54年(1979年)に「後楽園スポーツクラブ」
(現・東京ドームスポーツクラブ)がオープンしました。

後楽園は読売巨人軍のホームグラウンドであったので、
テープカットは長嶋茂雄さんがしてくれました。

オープンまではこぎ着けたものの、
とにもかくにもお客様が来て下さらなければどうしようもありません。

後楽園側からも
「田中さんは、開館と同時に入会者を集める秘策はありませんか?」
と問われたのですが、
健康クラブは体験をしてもらってその良さを理解してもらう必要から、
集客には初期の集客には時間がかかるビジネスモデルなのです。

入会者集めに困っていると、ある人が
「田中さんは三越と関係が深い。一度、相談をしてみてはどうですか」
とアドバイスをくれたのです。

そこで、三越に相談をしたところ、
後楽園に納品する健康器具については、
三越を通じて納品することを条件に、
担当の方が入会希望者を三越側でも集める方策を考えてくれたのでした。

「今度の第五月曜日が三越劇場が空いています。
どなたかにオープン記念の講演をしていただき、
合わせて健康クラブの説明を行ってはどうでしょうか。
参加者は三越側が責任を持って集めます」

講演者については、後楽園と相談をしたところ、
読売巨人軍で長島さんの前に監督をしていた
水原茂さんにオープン記念講演をしていただくことで動いてくれました。

そして記念講演の当日。700名もの人が集まりました。
水原監督の人気もありましたが、三越の影響力が大きかったのです。

水原監督は運動の効果と、
それが精神に及ぼす役割などをお話くださいました。

講演の内容が良かったためか、
講演を聞きにきたほとんど全員の方が入会をしてくださいました。

早朝オープンによる新規顧客層の開拓

さて、オープンの時間が朝の6時からだと先に述べましたが、
そんなに早くから誰が来るのか? と思われたことでしょう。

実は特定の職種の方が来られたのですが、
それが「歯医者さん」でした。

歯医者さんは治療のなかで歯を抜く際に、
利き腕の筋肉を鍛えておく必要があったのです。

忙しい職業ですから、早朝の時間しか空いていません。

日本にはそれまで早朝から開いているスポーツクラブはありませんでしたから、
お客様にとっても待望のオープンだったのでした。

早朝オープンについては、
これまで縁遠かった人たちが動いてくれるのではないかと
期待をしていたもののこれはピタリとはまりうまくいきました。

後楽園スポーツクラブは、東京ドームの設立に伴い、
現在は「東京ドームスポーツクラブ」として運営が続いています。

社会に対しての影響を考える

昭和57年(1982年)。
中曽根内閣が発足し、500円硬貨が発行されたのがこの年です。

事務所に、労働省(現在の厚生労働省)から連絡がきたのです。

「政府として初めて健康施設を開設をするので、
是非とも田中さんに手伝っていただきたい」
というお願いの連絡でした。

労働災害にあわれた方の機能回復と、勤労者の健康作りが目的だというのです。

「施設についてはどちらをお考えですか?」と訪ねると、
「文京区に後楽園会館という建物があり、ここを使おうと思っています」と言います。

読者の方は混乱されると思いますが、
後楽園スポーツクラブと後楽園会館は全く別の建物です。

地図で見ると、後楽園スポーツクラブから、
歩いて5分かからない場所に後楽園会館はありましたので、
私もこれはダメだと、労働省の方に
「申し訳ありませんが、非常に近くの後楽園スポーツクラブの運営の
お手伝いをしておりますので、後楽園会館はあまりにご近所。
お客様を食い合ってしまうのではありませんか」とお断りをいたしました。

すると、
「田中さんは、健康施設をなるべく多くの方が利用できるように
広めたいという信念をお持ちとうかがっておりました。
それにこの施設は、労働災害にあわれた方にも来ていただくことを
考えていますから、
あちらのスポーツクラブとは違った社会的な意義があると思っています」

その言葉を聞いて、お引き受けすることを決めました。

それと同時に、頭でそろばんをはじき、
自分の信念とは違う行動をしたことに深く恥じ入りました。

社会に対して良い影響を与えるならば、躊躇してはいけないはずだったのです。

そこで、後楽園スポーツクラブの運営は軌道に乗っていたので人に任せて、
後楽園会館の準備に早速取りかかりました。

仕事の報酬はお金ではなく、「能力」「ご縁」、そして「次の仕事」

こうして昭和57年(1982年)7月に
「後楽園会館けんこうクラブ」がオープンしました。

行政施設ということもあって、怪我をした方がリハビリに見えたり、
年輩の方も多くきていただける健康クラブとなりました。

同業他社の施設との大きな違いは、
設置しているトレーニングマシーンのシンプルさを追求したことです。

例えば、先述のルイスウオーカーは、
運動する人が自分でベルトの上を歩くものなので、
自分たちのペースで運動を行うことができ、
怪我をした方にも年輩の方にも好評でした。

白髪の方が運動に取り組む姿を見て、
私はふと昭和38年にアメリカで見た光景を思い出しました。

日本でも年輩の方が運動できる環境ができあがったのでした。

行政施設で第一号ということで、
行政関係の方の見学も多く、
その結果、平成5年には新潟で、
翌平成6年には福島で行政による健康クラブの設立、運営
のお手伝いをいたしました。

そのご縁から、大蔵省(現・財務省)のなかの
トレーニングルームの指導に携わったり、
国の仕事にもつながっていったのです。

さて、もし、後楽園会館けんこうクラブのお手伝いを
お断りしていたら、違う結果となっていたでしょう。

この出来事でよく分かったことは、
仕事の報酬は、お金と思われがちですがそうではなく、
仕事を通じて得られた自分の「能力」、人様との「ご縁」、
そして「次の仕事」なのです。

お金はその課程で発生する副産物にすぎません。

今の世の中はその副産物を求める人があまりにも多いように感じます。

お金を求めることが悪いといっているのではありません。
遠回りだと言いたいのです。

人様にどれだけの価値を提供できたかで
巡ってくるお金の量が決まります。

世の中にはいくらお金を積んでも動かない人がたくさんいます。
一流になればなるほどその傾向が強いようです。

そうした人を動かすには、
お金を求める生き方をしていては自ずと限界が見えてきます。

ではどうするか? それについては次の章で語ります。

(次回へ続く)

(26)『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則:お金で動かない人を動かすには
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