今回は、ビジネスの本質について、「値決め」を切り口に語られています。
当時の健康産業に参入した大手企業の動きの状況なども
うかがえる内容です。
時代背景などもお含みのうえ、お読みいただければ幸いです。
現在、大きな変化の時代を迎えていますが、
時代が動くときに、どのような判断を行うべきかといった
考察の参考になると考え、
ご関係者の方のご了解を得まして、記事を掲載いたしております。
毎週土曜日に更新の予定です。
後楽園のスポーツクラブ参入
その後、健康クラブの運営も順調で、
全国の三越で健康器具を販売の売上も毎年伸びていきました。
時は流れて昭和52年(1977年)の冬のこと、
仕事関係の知り合いから、後楽園の保坂誠社長を紹介され、
その後すぐに保坂社長から「仕事のことで相談をしたい」とお声掛かりがありました。
「田中さん。これからは健康の時代だと思う。我が社はスポーツクラブをやろうと決めたのだ」と言うのです。
昭和50年代は様々な企業が健康産業に本格参入しはじめました。
そのきっかけとなったのは昭和51年(1976年)のロッキード事件でした。
田中角栄総理が、アメリカのロッキード社からの政治献金を受け取ったと問題になり、
世間はその話題でもちきりとなったセンセーショナルな事件です。
アメリカ政府も調査員を日本に派遣したのですが、ホテルオークラが宿として使われました。
ご存じのように駐日アメリカ大使館がホテルオークラの隣にあります。
利便性からからオークラが使われたのでしょうが、宿泊した調査員が
「このホテルは部屋も食事も従業員の対応も素晴らしい。
ただ本格的なスポーツクラブが無いことだけが残念だ」
と言ったそうです。
東京ホテルオークラは、
パラマウント社のトレーニングマシーンをすでに何台か購入していましたが、
これをきっかけに本格的なスポーツクラブを作ったのでした。
その後、大阪ロイヤルホテルもパラマウントのトレーニングマシーンを導入するなどの動きがあり、
全国の高級ホテルで本格的なジムの設置が広まったのでした。
こうした時代の流れを受けて保坂社長はスポーツクラブを作ろうと決断したのでした。
その当時の後楽園は、遊園地の横に、場外馬券売場があり、
赤鉛筆を耳に挟んだおじさんたちがうろうろとしていたり、
投げ捨てられたハズレ馬券が散乱していたりして
お世辞にもきれいなところではありませんでした。
そこを大改装をしてスポーツクラブを作り、後楽園の経営の柱にしたいというのです。
スポーツクラブを創るにあたり
「失敗はできない。日本でこの分野の第一人者は誰だ? 意見を聞こう」
と私に白羽の矢が当たり、保坂社長からアドバイザーとして呼ばれたのでした。
スポーツクラブの入会金設定をどう考えるか
私と保坂社長、後楽園の経営企画部を交えた会議が何度も行われ、
スポーツクラブ設立の進め方について議論が重ねられました。
そして料金設定について議題が及んだときに
保坂社長と経営企画サイドとの意見の違いが浮き上がってきました。
経営企画部は入会金を50万円から70万円取り、
運営をしようと考えているようでしたが、
保坂社長はその値段設定について疑問を感じたようです。
保坂社長はこう言いました。
「後楽園はもともと一般大衆に娯楽を提供することで成功を納めた。
それが、急に高額な年会費をとるのは、お客様の層が変わってくるだろうし、
大衆に楽しみを提供するという経営理念からも外れているのではないか」。
しかし、経営企画の方がその値段設定をしたのには根拠がないわけではないのです。
当時、ホテルオークラやニューオータニでは
入会金を200万円から250万円をとって、スポーツクラブを運営していました。
そこから考えると、50~70万円の入会金は妥当といえば妥当でした。
保坂社長は
「なるほど、経営企画部の価格設定にも一理ある。しかしなあ……。
田中さんはどう考えていますか?」と言うので、
「後楽園は白山通り沿いで『地の利良し』、
健康産業の盛り上がりで『時の利良し』、
そして保坂社長を得て『主良し』ですからきっと成功されると思います。
それに、より多くの方に健康づくりの場を提供するのは社会に対する責務でもあるでしょう。
保坂社長が懸念されている料金についてですが、
後楽園は下駄履きの人たちがお客様で成り立ってきましたね。
その方々が50万、70万という値段で入会すると思いますか?
大衆料金で運営をすることに知恵を絞ってはいかがでしょうか。
やり方は色々とあると思います」と答えました。
保坂社長は
「うーむ。やはり私も大衆料金で運営をするべきだと思う。
田中さん、やり方は色々とあると言ったね。
あなたに後楽園スポーツクラブの企画から運営まで全てお任せしたい。いかがか」。
とまた思いがけないご提案をいただいたのでした。
こうして私は後楽園スポーツクラブの内部設計から、
健康器具の選定、運営まで全てを任されることとなりました。
後楽園側と話し合いを重ねて、
何度も収支予測を行い最終的には入会金は10万円と設定し、
多くの方が足を運びやすいようにしました。
値段を下げた分は、営業時間を長くして、
多くの方に足を運んでいただくことで収入の確保を考えたのです。
朝は6時から夜は22時まで営業をすることにしました。
現在はところによっては早朝から深夜まで営業しているスポーツクラブもありますが、
当時は、朝の6時からのオープンは異例中の異例でした。
営業時間について保坂社長に報告をすると、驚いた様子で、
「普通の店舗のように朝10時からの開店でもよいのではないですか」
「せっかくの企画ですので、この後楽園スポーツクラブを、
日本の健康産業の起爆剤としたいと思っています。
それに想定していないお客様の層がいらっしゃるかもしれません」
保坂社長はしばらく考えてから、小さくうなずき、
「田中さんにお任せしたのだから思うようにされてください」と朝6時からの営業を許可してくださいました。
ビジネスの成功の鍵は「値決め」
ビジネスを展開するうえで、成否の鍵を握るのはやはり「値決め」です。
日本では、「材料費、人件費、固定費がいくらかかったから値段はいくら」
といった値決めが主流です。でも、これは売り手側の理論にすぎません。
本当にその商品やサービスを届けたい方の手元に届くにはどうすればよいか、
そして単に安くすれば良いという考えではなく、
持続的にビジネスを続けるにはいくらなからば良いかを徹底的に考えることです。
こうしたことを考えるためには、
そのビジネスの価値や中心軸がどこにあるのかが定まっていなくてはいけません。
価値や中心軸がぐらついていては、値決めなどと到底できないのです。
「他の会社がいくらだからいくら」という値決めもいけません。
自社の商品やサービスの真の価値、
そしてその背景にある中心軸を他社に預けてはいけないとうことです。
今の世の中は、かつてのような供給不足で「作れば売れる」という時代から、
「顧客の課題を解決するようなものを作る」時代に変化しています。
そのときに重要なのが、値決めであり、ビジネスの中心軸なのです。
「値決め」に悩んだのならば、このビジネスの本質は、
何か、みなさんの心にある「お客様に届けたい価値はなにか」を改めて考えてみてください。
そこが値決めの第一歩です。
(次回へ続く)