(27)『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則:異業種からの参入

『日本の健康産業の第一人者』が語る 人生の成功法則

今回は、スポーツジムの運営に異業種からの
参入が相次いだ時代についてと、
他業界のビジネスに対する考え方の違いについて
語られています。

異業種からのスポーツクラブ業界への参入

後楽園スポーツクラブはオープンから半年後、
黒字となったことを大々的に発表しました。

当初の計画よりも二年以上早かったのです。
予想以上の大成功でした。

こうした健康クラブの盛況な様子から、
異業種から健康産への参入も相次ぎました。

そのひとつが三井不動産でした。

三井不動産にしても健康クラブのノウハウはありませんから、
私に企画・運営のためのアドバイザーとして参画してほしいと打診してきました。

昭和59年(1984年)のことでした。
当時社長を務めていたのは坪井栄さんでした。

昭和59年は年が明けてすぐに、
東証1部のダウ平均が1万円を突破し、
世間では財テクブームと言われていた時代です。

財テクとくのは株や投資信託で自分の財産を増やすことで
「財産テクニック」が語原だと言われています。

福沢諭吉の肖像が印刷された10,000円、
新渡部稲造の5,000円、夏目漱石の1,000円の新券も発行されました。

前年の昭和58年には
東京ディズニーランドが開業しバブルの時代の到来を予感させました。

健康産業に対する私の考え方は、
「世のため、人のため、社会のため」になることであれば、
自分自身が仮に損をしても一向に構わないというものでした。

この分野で後にライバル関係になることが
予想されても運営ノウハウを細かく教えました。

良い健康クラブがひとつでも増えれば、
その分だけ日本人の健康に貢献できるだろうと考えていました。

ノウハウを教える条件としては利用料について、
大衆料金で運営をしてもらうということでした。

不動産会社の経営の考え方

三井不動産は、会議の結果、銀座に健康クラブを開店、
運営することを決定しました。

しかし何と行っても銀座ですから気になるのは家賃です。

「家賃はおいくらですか?」と担当のスタッフに聞きますと、
「一年間で一億円です」と答えて平然としています。

銀座の家賃は高いことは知っていましたが、
それほどとは想像していませんでした。

そしてこれはいけないと思ったのです。

大衆料金で運営するには家賃が高すぎるのです。
私が難しい顔をしたのを坪井社長はすぐに気が付きました。

「田中社長、心配しなくとも大丈夫です。
三井不動産は大衆料金で健康クラブを運営します」

私が怪訝そうな顔をしますと、坪井社長が説明をしてくれました。

「土地というものは、他の商品と違って限りがあります。
数に限りがあるのですから、
ひとつひとつの価値を高めていかなくてはいけません。

健康施設をビルのなかに開設することで価値を高めることが目的です。

健康クラブを開設するビルは今は賃貸ですが、
近い将来には自社ビルに発展をさせます。

ですから大衆料金で運営しても十分にメリットがあるのです」

そして、「もうひとつ」と坪井社長が言いました。

「三井不動産が銀座という一等地で健康クラブを運営する
ということも重要なのです。すぐにマスコミがとりあげるでしょう。
一年間で一億円、二億円程度は広告代と思えばそれだけでも安いものです」

坪井社長は自信満々でしたが、
私はそんなにうまく事が運ぶのか心配でした。

しかし、なにはともあれ施設準備をしなくてはいけません。

パラマウント社のトレーニングマシーンを取り寄せ、
ルイスウオーカーは50台以上を銀座の健康クラブ開設予定場所に
ずらりと並べました。

トレーニングマシーンが並ぶとそれだけで壮観でしたが、
果たしてこのマシーン全てをお客さんが埋める日が来るのかと思ったものです。

銀座のスポーツクラブの成功

昭和60年(1985年)「健康クラブGINZA」がスタートしました。

御巣鷹山に日航機の墜落の痛ましい事故があった年です。

筑波で科学万博も開催されました。

銀座の健康クラブに、お客さんが入るか心配していましたが、
結果は、坪井社長の想定していた通りの大盛況となりました。

「銀座に健康クラブができる!」と
オープン前からマスコミが騒ぎはじめ、取材が何件も入ったのです。

時はバブル景気の直前でした。
大きな流れができると人が一気に動く時代だったのです。

オープン初日の朝、スタートをする前から、
お客様が列をなして待っていました。

銀座という土地柄と、健康クラブへ行くことが
ファッション性を帯びていたようにも思います。

時代の要請もあったでしょう。お客様は全国から集まりました。
羽田空港から来たとか、新幹線に乗って来たという人もいました。

不思議なもので、話のタネにと訪れる人でも
いざトレーニングマシーンを使い始めると真剣に運動をするのです。

そして、「銀座で身体を鍛えてきたよ」と周囲の人に話をし、
それがまた次のお客様を呼んだのでした。

最初は「ビルの付加価値と広告宣伝のため」と
考えていた三井不動産でしたが、
銀座店の盛況ぶりを目の当たりにしその後3年間で、
5カ所の健康クラブをオープンさせました。

(次回へ続く)

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