(22)『日本の健康産業の第一人者』田中恒豊さんが語る 人生の成功法則:身体を鍛えるということ

『日本の健康産業の第一人者』が語る 人生の成功法則

今回は、健康産業に関わるなかで出会った不思議なご縁と、
そのご縁が、自社のビジネスを展開するうえでの良いきっかけと
なった話が語られています。

身体を徹底的に鍛えると起こる不思議なこと

健康クラブを経営していると、運動・健康に関する様々な情報が集まってきます。

健康器具のことはもちろん、運動方法や健康食品など。

眉唾物の情報も多いのですが、なかには信じられないような本当の話もありました。

ある時に仕事の関係で知り合った山陽放送の執行役員の方から
「銀座に仙人のような人がいる」という話を聞きました。

その人は自ら開発した俵型の鉄球を使った運動法を開発して、
大きな実績をあげているということでした。

変形の鉄アレイを使ったダンベル運動のようだと思いましたが、
何となく気にかかり、紹介してもらうことにしたのです。

そして、紹介していただいた方が美坂駿文先生でした。

美坂先生は明治43年(1910年)の生まれで、
一時、上海で中国拳法を学び、手に刀や槍などを持って演舞する効果を研究されました。

そして3キログラムの俵型鉄球(美坂鉄球)を使った「美坂式軽量振動運動法」を考案したのでした。

美坂鉄球によるトレーニング

美坂鉄球を使ったトレーニングを多くの競技者に指導し、
警察大学・自衛隊幹部学校などでも
出講している「知る人ぞ知る」トレーナーだと後に知りました。

初めてお会いしたのは先生が60歳前後のことでした。

仁王像を思わせるようながっしりとした体躯に優しい瞳、
笑うと頬骨がぐっとあがって不思議な魅力がある方だなと思ったものです。

美坂先生とご挨拶をし、早速に美坂鉄球を使わせてもらいました。

見た目は俵型でどうということもないのですが、
握らせてもらった瞬間に「これは普通の運動器具ではない」と直感したのです。

数多くの運動器具を見てきた私でしたが、
いわゆるダンベル(鉄アレイ)とは全く違う効果を直感したのでした。

「美坂先生、この鉄球の実績を教えていただけませんか」と尋ねると、

「日本大学のスキー部で、美坂鉄球を使った練習を三ヶ月ほど指導しました。
もともと才能のある選手たちでしたが、
私の指導にも大変真面目に取り組んでくれました。

それで一段も二段も腕があがったのです。
今年スキーの団体戦で日本大学は優勝をしました。きっと来年も優勝しますよ」

日本大学はそれまでインカレで総合優勝をしたことがなく、
当時監督を務めていた八木祐四郎さんが、
美坂先生に基礎トレーニングの指導をお願いしたのでした。

スキーの団体戦は、誰か突出した選手がいれば勝てるというものではなく、
四人の選手全員の力が総合的に優れていなくてはなりません。

インカレを目指す若者たちですから、
日頃から厳しいトレーニングを積んでいます。

そこからさらに一段階、能力を引き上げ、
他校の強豪たちに打ち勝たなくてはならないのですからそれは大変なことなのです。

日本大学はその後、昭和42年から49年にかけて通算6回優勝します。

途中で一度だけ優勝を逃していますが、
3年連続優勝を2度果たし「スキー王国」と呼ばれるようにまでなったのです。

八木監督は日本大学の監督を勇退した後「東京美装」という会社を作り、
日大の卒業生たちを集め、社会人スキーの日本大会で昭和53年から59年まで6連覇をしたのです。

日本のスポーツ界でこんな快挙は後にも先にもありませんでした。

八木さんは平成6年(1994年)のリレハンメルオリンピックでは日本の副団長を務め、
平成11年(1999年)に日本オリンピック委員会会長などを歴任し、
日本のスポーツ発展に大きく寄与しました。

美坂鉄球を健康クラブに取り入れる

美坂鉄球の実績を聞き、この運動をターナーの健康クラブにも取り入れたいと思いました。

美坂先生に「鉄球運動を私どもの健康クラブのプログラムとして指導していただけませんか」
とお願いをすると
「多くの人に美坂鉄球を知ってもらう良い機会ですから」と快諾をしてくれ、
その後何年も健康クラブで運動指導を行ってもらいました。

美坂鉄球にはいくつか運動方法がありますが、
代表的なものに鉄球を手に持って行う屈伸運動があります。

この運動は身体の中心線を鍛えるとともに、
力まない脱力した状態の身体の使い方が身につくという特徴があります。

力まない身体の使い方を覚えると、
競技者はそれまでの自分の記録を超えていくことができるのです。

美坂先生と美坂鉄球の逸話

美坂先生と美坂鉄球については多くの逸話があります。
そのいくつかをご紹介いたしましょう。

浅川春男さんという剣道八段の名手が、
日本選手権で優勝を果たして、一週間後の話だそうです。

横浜にある同門の小野七段の道場を訪れたときに
「奇妙に腕の立つ人がいる」と美坂先生を紹介され、
その場で立ち会いをしたそうです。

ところが浅川さんの竹刀はいくら打っても美坂先生に当たりません。

日本選手権で優勝してすぐのことで、
気力体力ともに充実していた時であったので非常に驚いたということでした。

美坂先生に聞くと、鉄球運動によって、
自分の身体が反射的に攻撃を避けられるようになっている。

だから、身体に竹刀が当たらないのだということでした。

その時に居合わせた人にも話を聞きましたが、
美坂先生は紙一重で竹刀をかわすので、見ている方は冷や冷やしていたようですが、
結局最後まで竹刀は当たらず時間切れで試合終了となったそうです。

反射神経の不思議

また、昭和58年(1983年)のこと。
新潟の弥彦の電話局から職員の健康指導について相談を受けました。

電話局では事務作業が多く、職員がひどい肩こりを訴えていて、
これを改善できないかということでした。

肩こりの解消に美坂鉄球を使った体操は効果がありますので、
美坂先生に直接指導をお願いし、弥彦まで行っていただくことにいたしました。

そして、運動指導の当日、そろそろ美坂先生が弥彦に着いたころだろうと思っていると、

電話が鳴りました。弥彦の電話局からでした。
「美坂先生が時間になってもお越しにならないのですが……」。

美坂先生は時間に正確な方でしたので、
何かあったかと心配をしておりますと第二報の電話がかかってきました。

「湯沢の峠で車の接触事故がありました。東京からお越しの偉い先生が巻き込まれたようです」

これは大変なことになったと思いました。
先生はお元気とはいえ当時、74歳。

車の事故ですからいくら身体を鍛えていてもどうにもなりません。
最悪の状況を覚悟しました。

するとすぐに第三報の電話がかかってきたのです。

「美坂です。車の接触事故があったが、
ボクは大丈夫だから少し遅れるけれども弥彦に行きますと先方に連絡をとってください」

美坂先生の元気そうな声を聞いて驚くとともに、一安心しました。

後で詳しい話を聞きますと、湯沢の峠越えで、
美坂先生の乗っていた車とスキーバスと接触事故を起こし、
先生の車が3回転する大事故だったそうです。

先生の車を運転していた運転手の方はお気の毒にも即死。

先生はというと、即座に助手席の下に猫のように身体を丸めてもぐり
身体はなんともなかったということでした。

ただ、ギアが歯に当たって前歯が5本抜けてしまったと残念がっておられました。

先生は「これも美坂鉄球で鍛えたお陰ですよ」とおっしゃっていました。

身体を鍛え抜いておくと、何かが起きた際に、
どの場所が、そしてどの姿勢が一番安全なのか身体が自然と反応するのだということでした。

私自身も美坂鉄球を使った運動効果を認めていたものの、
それまでは鉄球を使ったトレーニングをすることはありませんでしたが、
先生の事故からの生還のお話をうかがって、毎日運動をすることといたしました。

50歳を過ぎてからのトレーニングでしたが、80歳の今も続けています。

骨まで鍛えるということ

さて、残念なことに先生は平成10年(1998年)に
88歳でお亡くなりになりました。

通夜で棺で横たわる美坂先生の姿は生前と
全く変わらず眠っているかのようでした。

ご遺体を火葬場でお見送りして、お骨が戻ってきてから、
骨壺に納める段となりました。

火葬場の職員の方も驚いていましたが、
ひとつひとつの骨があまりに立派で骨壺に納まりきらないのです。

「筋骨隆々」という言い方をしますが、
筋肉だけではなく骨までも鍛えていたのだと思いました。

先生はまさに最後の最後まで身体を鍛えることを教えてくれたのでした。

(次回へ続く)

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