今回は、少年院に入った田中さんが
感じたことを中心に書いています。
重ねての記載で恐れ入りますが、
時代背景などもお含みのうえ、お読みいただければ幸いです。
少年院脱走の計画
私が少年院に入ってから三日目の晩となりました。
脱走を計画した少年の話によると、
「兄いもご存じのように
この少年院の建物の外に出るには入り口の大扉しかありません。
大扉にはは「かんぬき」がかけられていますが、二十四時間のうち、
決まって五分だけかんぬきが縦になる時があります。そこを狙います」。
それはいつかというと夜の10時で、
当直の監視が三つの部屋の点検に来るため入ってくるのですが、
その時だけは扉のかんぬきが縦になっている。
つまりは扉を押せば開く状態になっているということでした。
脱走を計画したその日は、
少年同士の喧嘩や騒ぎもなく、夕食の時間も静かに過ぎていきました。
布団を敷き、消灯時間が過ぎ、
ついに夜の10時となりました。
大扉がギイーときしむような音をたてて開き、
監視がひとりで入ってきました。
監視はそれぞれの部屋のなかを
懐中電灯で照らし異常がないかを点検するのです。
監視が一つ目の部屋を懐中電灯で照らしはじめました。
部屋の端から端までをなぞるように光の線が動きます。
布団で寝ている少年たちは事前に申し合わせていますから、
寝たふりをしています。
監視が小さく「異常なし」とつぶやきました。
二つ目の部屋が照らされます。
規則正しく懐中電灯の光が動きます。
部屋の中央あたりを照らしたところで、
急に光りが鉄格子のはめられた窓を照らしました。
どうやら野生の生き物が窓の外を通り過ぎたようでした。
それに気が付かないふりをして、
部屋の少年たちは皆、大人しく寝ています。
「異常なし」とつぶやきました。
そして三つ目の部屋が照らされました。
ゆっくりと動く光。
「異常なし」と大扉のほうに監視が戻っていきます。
その時です。
合図役の少年が布団からゆっくりと起き上がり、
手拍子をひとつ大きく打ちました。
それを聞いた3部屋の少年たちが
無言で一斉に部屋から飛び出しました。
監視はとっさのことで反応ができずに呆然としています。
監視の横を少年たちが次々に走り過ぎていきました。
大扉は予想していたように開いており、
合計182人の少年たちが建物の外に出ていったのです。
建物の周囲の鉄条網をどう越えていくか
少年院の周囲には塀がありませんでしたが、
その代わりに背の高いカラタチの木が等間隔に植えられ、
トゲの付いた鉄条網が何重にも巻かれていました。
少年たちはその塀代わりのカラタチの木を
登って逃げようと一斉に走り出したのです。
すぐに脱走を知らせるサイレンが鳴り響き、
ライトがパッと点けられました。
少年たちの心にも動揺が走ります。
とにかく早く外に逃げたい。
その一心で木に登りますが、
イバラのような鉄のトゲが、
身体のあちこちが刺さり容易には上れません。
上りきるのを今か今かと下で待っている少年たちからは
「早くしろ!」と怒号をたてます。
着ているシャツはトゲにひっかかって鉤裂きだらけになり、
体中血だらけ。とても見ていられないような惨状でした。
私は木を登るようなことはしませんでした。
少し登った程度では鉄条網を越えられないことは
すぐに見て取れましたので、
どうしようかと冷静に考えて、
周囲の状況をじっと観察していたのです。
そうして上がダメなら下はどうかと、
木の間を一本ずつ見ていきました。
と……。ある木の根本のところを見ると、
地面と鉄条網の間が、
ちょうど手のひらひとつ分の空間を見つけました。
小さな隙間でしたが「ものの本」で
人間は頭が通れば身体は通るということを知っていましたので、
これはもしかしたらいけるかもしれないと考えたのです。
地面の部分は、土が固くならされていましたが、
近くに落ちていた石を使うと簡単に掘れました。
20センチほどの穴を掘り、
隙間を作ると、そこから抜け出ることに成功したのでした。
なかにいる他の少年たちにも
「ここから逃げられるぞ!」と大声で呼びかけましたが、
彼らは木の上のほうにばかり気を取られて、
一向にこちらに気が付きません。
そうこうしているうちに、
何人もの教官が集まってきて、
少年たちを片っ端から取り押さえていきます。
鉄条網に上っている足を捕まれ、
無理矢理引きはがされて内側に落ちる少年たちもいました。
ひとりの教官が外にいる私に気が付きました。
「おい、お前! そこから動くな!」と、
他の教官たちとともにこちらの方に来ようとしましたので、
これはいけないと仕方なくひとり暗闇の山に向かって逃げたのでした。
「観察力」
この時、私を助けたのは「観察力」でした。
ビジネス成功させるうえでも、
「観察力」は欠かせませんが、
実のところ苦境に立たされたときのほうが「観察力」は重要なのです。
ピンチの時に、本当に危機に陥るのは、
「自分自身で解決方法がない!」と考えた場合です。
「観察」することができるということは、
「解決方法を模索する」行為にほかなりません。
その根底には「この苦境も解決できる」
という心持ちがあるということです。
自分自身のなかから、
解決方法が結局見つからなかったとして、
周囲の人が解決方法を教えてくれる場合もあります。
でもその時にも、
相手に自分の状況を冷静に伝えなくてはいけません。
それには「観察力」が欠かせないのです。
これは後から知ったことです。
その日、182人の少年が建物から飛び出しましたが、
鉄条網を越えて外へ逃げられたのは私ともうひとり、
たったの2人だけだったそうです。
暗闇の山に逃げ込んだ私は、
駅の近くでしばらく過ごし、始発電車で神田の町へと戻りました。
結局、少年院を勤め上げようと思っていた私は
たったの3日で逃げることとなり、
心底逃げたかった少年たちは少年院に戻ることになってしまった
のは運命の皮肉でしょう。
それでも逃げてはいけない
今になって思うことは
「逃げ出してはいけない」ということです。
「自分は少年院を脱走をしておいて何を言う」
と思われるかもしれませんが、
逃げた私だからこそ分かるのです。
自分が犯した罪は逃げたからといっても消えるものではありません。
いずれは何らかの形で罪を償わなくてはならないのです。
何か悪いことをすれば、
直接的にしろ間接的にしろ、
自分に返ってくるのです。
「お天道様が見ている」というのは本当だと
いうことが実感として分かります。
仮に、悪いことをして、
それが罪に問われなかったとしても、
それは運が良いのではなく、
償いや反省の期間が少し先延ばしにされているに過ぎません。
刑務所や少年院に行くことは大きな反省の機会なのです。
少年犯罪のニュースを見ていると、
罪を外部環境のせいにする犯人がいます。
社会に受け入れてもらえなかったからとか、
親との関係が良くなかったという理由を、
罪を犯したことの原因だというのですが詭弁にすぎません。
結局は、犯した罪の償いから逃げているに過ぎないのです。
自分の心と向き合い、
勇気を持って罪の償いを果たさなくてはいけません。
不思議なことですが、
罪の償いを決意した時に、新しい道が拓かれます。
もちろん最初は苦難が続くかもしれませんが、
それもしばらくの辛抱なのです。
必ず道は拓けるのです。
運命を切り開いていくのは自分なのですから。
(次回へ続く)